こんにちは、いとちゃんです。 今回は軽登山・アウトドア(ヤマップ活動から) 総社市・伊予部山ハイキングを取り上げていきます。
外はすっかり秋から冬に変わり、蜂・藪蚊もいなくなり山も歩きやすくなりました。
とは言え今年は熊の冬眠時期が遅れてふもとの集落にも出てきている状況なので、(熊以外にも猿・猪・鹿・ハクビシン・狸・狐)くれぐれも注意が必要です。
目次
総社市・伊予部山 マップ
伊与部山・伊与部山城跡 軽登山 / いとちゃんさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
伊予部神社
創建年月不明。 明治十九年に社殿改築の記念碑が敷地内にあります。
明治四十三年一村一社の法令によって存置されたが、その後荒廃した。
戦後敬神の念がたかまり、昭和三十九年九月七日復興を決議して現在にいたっています。
伊予部山には四国の霊場巡りを再現した、伊予部山88ヶ所巡りハイキングコースもあり城跡・古墳巡りと合わせて楽しめます。
伊予部山弥生墳丘墓
伊予部山弥生墳丘墓
高梁川と新本川との合流地点の南西に、標高一〇〇メートルほどの伊与部山とも、夕部山ともよばれる山がある。山の頂は二つの高所に分れ、西方の山頂に弥生後期に営まれた墳墓遺跡が残され、伊与部山弥生墳丘墓と名づけられている。昭和四一年(一九六六)に調査が行われ、遺跡の規模・構造および特色などが明らかにされた。
伊予部山二号墳
伊与部山弥生墳丘墓の北東20mに築かれた14m×10mの方墳で中央に埋葬施設がある。副葬品には内行花文鏡・石釧・勾玉・斧・鉇・など鉄器が出土している。
伊予部山城跡
築城期については、詳しい詳細は不明ですがが、築城者は明石兵部少輔といわれ、その時期は天正3年以前といわれている。
当城は鎌倉末期か南北朝初期に既に築かれていたのではないかと言われています。
備中兵乱
天正3年(1575)毛利氏は、備中・鬼ノ身城(岡山県総社市山田)を落とすため、毛利方の武将小早川隆景が夕部山(伊予部山)城を陣城として重要な戦略拠点に置いた。鬼ノ身城は夕部山城から北西凡そ8キロの位置にある。
鬼ノ身城主上田実親は毛利の攻撃を受け、二十歳の若さで自刃し、城兵3千人の命を救ったといわれる。
伊予部山からの眺め
伊予部山からの南の景色は南東部は総社市・福山・軽部山 南西部は矢掛町辺りまで見渡せます。
晴れて霞んでいなければ、瀬戸内海も見えます。
標高100m少しですが、意外に周囲が見渡せるので、戦国時代の拠点を置くには丁度良かったのではないでしょうか。
まとめ
今回は地域の歴史探訪をメインに紹介してみました。
低山のハイキングの楽しみは時短で楽しく運動ができる・本格的な登山まではなかなかできない方にもお勧めの楽しみ方だと思います。
その楽しみを一役かってくれるアプリがヤマップだと思います。
アプリをうまく活用して、低山ハイキングを楽しんでみてはいかがでしょうか。
今回はここまでです。 ここまでのお付き合いありがとうございました。
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