こんにちは、いとちゃんです。 今回は低山ハイキングで訪れた、備中兵乱の舞台にもなりました岡山県・総社市にある鬼ノ身城跡へ行ってみようと思います。
秋から冬にかけては雑草や藪なども少なく、ハイキングしやすい季節になりますので、天気の良い日にはハイキング・低山など楽しんでみてはいかがでしょうか。
ロリポップ!目次
備中・鬼ノ身城跡
登山用アプリYAMAPやトレーニングアプリなどを使用すれば、外での運動の自分の経過観察にもなりますので是非活用してみてください。


標高284mの鬼身山頂部に築かれた山城で、眼下に玉島と備中北部を結ぶ玉島往来が望める交通の要衝に立地します。
築城時期は不明ですが、南北朝時代末期の明徳年間には今川上総介泰範の居城であったとされ、後に上田氏が城主となっています。
天正2(1574)年に、松山城主三村元親氏が毛利氏に反旗を翻したことから毛利軍の攻撃にあい、三村方の城は次々に落城しました。三村氏の配下にあった上田実親の鬼ノ身城も、天正3(1575)年1月16日に包囲され、23日より昼夜四日にわたる攻撃を受けました。ついには持ちこたえられず開城を決意し、自らの命を引き換えに城内の兵士を救いました。その後、この城は江戸時代の初めには廃城となったようです。
鬼ノ身城の城郭は、県下ではまれな「扇の縄」という形式をとるもので、扇をひろげた形に配置され、四段に構築されています。
備中・鬼ノ身城跡 ハイキング


総社市の「華光寺(かこうじ)」は、曹洞宗の寺院で、歴史的には「花荘庵」という祈祷寺を起源とし、1566年(永禄9年)に岡田村の三宅氏によって建立され、当初は「全香寺」と号しました。明治時代の火災や戦後の無住期間を経て衰退しましたが、昭和52年の32世住職入山を機に復興が進み、平成24年には本堂が落慶するなど、現代に続く歴史と信仰の場です。
歴史の概要
- 起源(戦国時代):
- もとは馬入堂山の「花荘庵」という祈祷寺でした。
- 備前常山城主の城代、西薗馬入堂山城主の岡田村三宅氏がこれを移し、1566年(永禄9年)に曹洞宗の寺として開創。
- 「全香寺(ぜんこうじ)」と名付けられました。
- 戦後~現代:
- 終戦後、長く無住となり寺が疲弊しました。
- 1977年(昭和52年)に32世住職が入山し、檀信徒の協力で伽藍が整備されました。
- 2012年(平成24年)には本堂が再建され、現在に至ります。
総社市・山田地区の八十八か所巡りは、古墳や山城跡(鬼ノ身城)、庄屋屋敷(菊池邸)などの歴史遺産が点在する地域で、住民が主体となって整備したウォーキングコースの一部です。
起源は明確な文献は少ないものの、かつての信仰と地域の文化遺産を繋ぐ形で、近年(2025年初頭)住民によるコース整備とイベント開催を通じて、地域の魅力再発見と健康増進を目的として広まりました。


山田八十八か所巡りルートを参考に登山をすれば、ルートの交差点(蟻ケ峠)までぐるっと周れるような登山道コースになります。


尾根伝いからは、岡山県西部(倉敷市・浅口市・矢掛町)辺りが見渡せます。
蟻ケ峠までは、道幅は狭いですが車で上がることもできます。 駐車スペースは2~3台程度になります。


所在地}総社市山田
{形 式}鬼身山(標高284m)頂上に築かれた山城
{遺 構}石垣・曲輪(一~十二ノ壇)・井戸
{沿 革} 鬼ノ身城がいつ、誰によって築かれた城であったかについては伝えられていませんが、南北朝時代末期には今川上総介泰範が、16世紀初めからは上田氏が城主になったことが分かっています。
5代目の上田孫次郎実親は、備中松山城主三村元親の弟で、三村方に所属していました。その三村氏は、毛利方に所属していましたが、天正2(1574)年にむほんを起こしたことで、同年11月に毛利方の大軍が備中国へ出陣して来ました。
三村方は居城の松山城をはじめ、備中国内にある出場の防御を固め、鬼ノ身城へも兵3000騎を配置しました。しかし、三村方の諸城はことごとく落城し、鬼ノ身城も天正3年1月16日より包囲され籠城戦となり、23日からは数万の兵による総攻撃を受けました。
城は昼夜の戦いにも耐え続けましたが、ついに開城するしか方法がなくなりました。城内の兵を救うために城主上田実親は命をかけました。1月29日辰の刻に切腹。この時、実親は20歳でした。
上田氏滅亡のあとは、毛利方の武将である宍戸安芸守隆家が城主に命ぜられて、城代が置かれましたが、関ヶ原の合戦の後に廃城となりました。城が築かれた場所は、瀬戸内から陸路で松山城へと通じる街道に面しており、また瀬戸内への前線拠点としても重要な城でした。




総社市の鬼ノ身城跡周辺には、「鬼身山(おにみやま)」という山があり、その山頂付近に「天空の鳥居(鬼身山神社)」が存在し、絶景が楽しめるスポットとして人気です。
一般的に「鬼ノ城」として知られるのは古代山城の跡ですが、鬼身山は別で、鳥居があるのは「鬼身山(おにみやま)」、または「鬼ノ身城跡」と表記されることもあり、登山口は総社市山田にあります。鳥居からの景色は早朝〜午前10時頃が特に綺麗ですが、道は険しく滑りやすい花崗岩の道なので、登山装備と十分な準備が必要です。
標高はさほど高くはないですが、山頂からの県南部南側の眺めは爽快です。
まとめ
今回は、プチ山散歩・備中兵乱の舞台・鬼ノ身城跡と天空の鳥居巡りハイキングをお届けしました。
岡山県・備中地域(現・岡山県西部)は古代吉備の時代から戦国時代など調べてみるといろいろな歴史が埋まっています。
それを少しずつ調べながら歩き回るのも醍醐味ですし、楽しく歴史に触れながら自然を感じられるハイキングを皆様も楽しまれてみてはいかがでしょうか!?
今回はここまでです。 ここまでのお付き合いありがとうございます。



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