こんにちは、いとちゃんです。 今回は趣味と健康維持を兼ねたハイキング・ウォーキング企画。
プチ山散歩・備中境目七城跡の一つである冠山城跡へ行ってみたいと思います。
普段は仕事や家庭で忙しく運動をしていない方にも、歩く事を意識してもらい長く健康で楽しく地域を散策してみてはどうでしょうか!?
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今回の散策コース
今回のコース
① 足守武家屋敷 ② 葦守八幡宮 ③ 冠山城跡 ④ 安富牧場
⑤ JA岡山パン工房 ⑥ 足守陣屋跡
約 1時間半 5キロ程度のコースです。
2024年・投稿納め・備中境目七城巡り探検。(北側編) / いとちゃんさんのウォーキングの活動データ | YAMAP / ヤマップ
OM SYSTEM STORE足守ハイキング・見どころ
足守陣屋跡・近水園



足守は、幕末の蘭学者・緒方洪庵や歌人・木下利玄など偉人を輩出した歴史好きには魅力的な地で、大阪で(適塾)を開いた緒方洪庵は、足守藩から要請を受け、天然痘治療のため除痘館を建て治療にあたりました。
現存する木下利玄の生家は(近水園横、内部の見学は不可)、荒壁の長屋門風の建物や土蔵などが風情ある佇まいで、この辺りは、近水園とともに散策にオススメです。
紅葉や新緑など四季折々、美しい景観が楽しめます。
旧足守藩主木下家の庭園である近水園(おみずえん)は、岡山県下で、岡山の後楽園、津山の衆楽園と並ぶ大名庭園の一つです。
岡山県指定名勝にも選ばれ、小堀遠州流の池泉回遊式庭園が特徴です。園内には珍しいマリア灯籠もあります。
葦森八幡宮


当宮は世にいう葉田葦守宮で応神天皇行幸の旧跡である。葉田葦守は応神天皇の皇妃吉備兄媛の郷里であり、応神天皇の22年9月この地に御臨幸になった。
応神天皇はこの行幸において、兄媛命の兄御友別命及びその子、兄弟のもてなしを受けたことを大変喜ばれ、吉備の地を分国し、長子の稲速分(下道臣の祖)に川嶋県、次子仲彦(上道、香屋臣の祖)に上道県、末子弟彦(三野臣の祖)に三野県、兄の浦凝別(苑臣の祖)に苑県、弟の鴨別(笠臣の祖)に波区芸県を与えられた。
このように当宮は吉備の国の建国にゆかりのある宮であり、天皇崩御の後、御友別命の子中津彦命(仲彦)は、天皇の仁徳を追慕し、天皇の神霊をその行宮跡に斎き祀り、葉田葦守宮と称したのが現葦守八幡宮です。
爾来中津彦命の子孫で、葦守に居を構えた香屋臣(賀陽氏)は、一族中から相つぎ神主を送り出し足利氏末年に至るまで連綿と奉仕した。
葦守八幡宮は代々の守、介や武将からも崇められたが、中でも豊臣秀頼は慶長12年奉行小出大和守をもって神鏡一面を奉納され、豊臣家再興を祈願しています。
JA足守パン工房




岡山県産米の「ヒノヒカリ」を使用。しっとりもちもちした食感が好評の「おこめパン」
ご当地ブランド足守メロンの果汁を使ったメロンパン、食パン、菓子パン、フランスパンなど様々なパンを作っています。
米粉100%の食パンも注文制で取り扱いをしております。
【住所】岡山県岡山市北区下足守3-1
【電話番号】086-295-0235
【営業時間】9:00~14:00
【定休日】日月、年末年始
【駐車場】あり
【アクセス】足守駅から車で約5分
JA岡山パン工房は岡山市北区下足守にあります。ハピーズの近くです。
安富牧場




近年、時代の流れに沿って機械化が進み、酪農という業界も拡大をしていきました。拡大していくことにより、良い事も沢山ありましたが、今では悪い面が多くなったと感じています。
そこで、昭和62年頃より消費者の方と生産者の私たちが交流する機会を持てるように、牧場見学、利き乳会(試飲)、搾乳体験、バター作り、チーズ作り体験に取り組みました。食べ物を生産する側が、消費するお客様の生の声を聞けるとても貴重な時間を過ごせたと感じています。そこからお客様に求められていることは何か?と辿りついた答えが「美味しい乳の生産」でした。
ここ安富牧場では、お客様が笑顔になる、喜んでいただけることを第一と考えています。
牛乳本来のおいしさを生かすよう、配合搾乳したその日にアイスクリームの仕込みをしています。ひとつひとつ手作りを心掛けていますが、衛生面で必要な部分は最新の機器を導入し、徹底した品質管理を行なっています。安全な食材はもちろんのこと、地元のフルーツや加工品を積極的に取り入れた商品ラインナップです。
(2013年1月現在 アイスクリームレシピ数は50種以上)
【安富牧場 ファミーユ】足守本店
岡山県岡山市北区下足守402-3
TEL(086)295-0394
営業時間:3月~10月 10:00~18:00
11月~2月 10:00~17:00
定休日 :1月、2月の水曜日のみ
アクセス:岡山自動車道「岡山総社IC」より車で10分

【安富牧場 味彩館Aコープ西大寺店】
岡山県岡山市東区西大寺中野388-2
営業時間:11:00~17:00
定休日 :火曜日(5月~10月は無休)
※お問い合わせは足守本店までお願いします。
備中境目七城・冠山城跡



1577年(天正5)以降、織田信長は中国地方へ羽柴秀吉を進出させた。
当時、備中の城主たちは、ほとんど毛利方に属し、宮路山城・冠山城・備中高松城・加茂城・日幡城・松島城・庭瀬城の「境目七城」を強化して対抗していた。冠山城は、その「境目七城」の一つになります。
天正10年(1582)4月17日 冠山城は、織田軍2万、宇喜多勢1万に囲まれ、下足守の山や谷は陣馬で埋まった。守りは城主 林三郎左衛門、祢屋七朗兵衛など3百騎、総勢3千6百人で、羽柴秀吉の旗本 杉原七朗左衛門、宇喜多秀家らと戦った。城内より打ち出す銃火ははげしく、また城兵には豪の者多くめざましい働きにより、寄せ手の犠牲は大きく、一時攻めあぐんだが、4月25日不幸にして城内より出火し、火は燃え広がり城中大混乱となった、城主林三郎左衛門は最早これまでと城兵に別れを告げ自決した。竹井将監など将兵139人は自刃或いは壮烈な討死を遂げた。
加藤清正一番乗りの功名話、荒武者竹井将監が加藤清正と激闘ののち戦死したことなど激戦の状況が戦史に詳しく伝えられている。
小山ながら難攻の冠山城も遂に落城した。林三郎左衛門は行年51才、備中の国を半国与えようという羽柴秀吉の誘いをも断り、毛利並びに小早川隆景に義を貫いた。武士道に徹した冠山の城主及び将兵を心から称えたいと思います。

まとめ
今回は、プチ山散歩・備中高松城・前哨戦の舞台・冠山城跡を巡る。 について取り上げてみました。
備中境目七城は、備中高松城以外はあまり有名ではないため歴史を知らない方も多くあるとは思いますが、知れば知るほど足守地区の歴史・観光地・グルメなど、散策してみたい所が多くあります。
この記事では紹介していない見どころもまだまだありますので、是非・ご自分の足で歩いて周ってみてはいかがでしょうか。
今回はここまでです。 ここまでのお付き合いありがとうございます。





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