こんにちは、いとちゃんです。 今回は日頃の健康維持の為に始めたプチアウトドア(軽登山)を地域の歴史と共に取り上げてみたいと思います。
目次
総社市・三輪山古墳群・周辺マップ
古墳巡り散歩 三輪山 / いとちゃんさんの活動データ | YAMAP / ヤマップ
総社市・三輪山
岡山県・総社市・三輪の標高80mの三輪山で、南側に福山(福山城跡・幸山城跡)がそびえます。百射山神社(ももいやま)の山で宮山とも呼ばれています。
宮山型特殊器台の「宮山」がそれで、特殊器台は古墳時代前期の前方後円墳から出土したものです
が、この山には注目すべき弥生時代の墳丘墓もあります。 注目点はその形状で、前方後円墳と極めてよく似ています。 弥生時代なので、古墳時代でないから前方後円墳と言えません。
時代 | 古墳時代前期 |
管理者 | 百射山神社 |
形式 | 前方後円墳 |
墳丘墓の大きさ | 全長約55m |
後円部の石室 | 竪穴式石室(盗掘済み) |
被葬者 | 不明(当地の首長?) |
宮山には遊歩道 (全行程3~4Km前後)が整備されており、弥生~古墳時代の墳墓を見ながら、自然散策も楽しめます。
三輪山古墳群
弥生時代後期から古墳時代初頭の墳墓群で、この墳墓群は、石を箱形に組んだ箱式石棺、土を掘って埋葬した土壙墓(どこうぼ)、特殊な器台を棺に転用した特殊器台棺など多様な埋葬を行なった集団墓と、特別な人のために造られた前方後円形の墳丘墓から構成されています。墳丘墓の後円部には竪穴式石室が築かれ、石室内からは中国製の鏡、直刀、剣、銅の矢じり、鉄の矢じり、ガラス小玉などが出土しています。
この墳丘墓に立てられていたと思われる特殊器台と同様の文様をもつ特殊器台が、最古級の古墳とされる箸墓古墳をはじめ奈良県の古い古墳から出土しています。吉備と倭(やまと)の深い関わりを示す貴重な資料になります。
なお、弥生時代の終わりごろ、吉備の葬送儀礼に使用された特殊器台は、古墳に立て並べる円筒埴輪(えんとうはにわ)へと変化していきます。吉備で発生した葬送儀礼が、後の倭を中心とした古墳時代の葬送儀礼に取り入れられたことは、古墳時代の成立に吉備が大きく関わったことを示すものです。
宮山天望古墳
標高約80mの三輪山頂部に立地する古墳時代前期の前方後円墳です。後円部に比べ前方部が低くて長いことから、古い様相をもつものといえます。後円部の頂部には大きな穴が開いており、埋葬施設はすでに盗掘されているものと思われれます。
墳丘の斜面を覆った葺石(ふきいし)は前方部側によく残っており、埴輪(はにわ)の破片も採集されています。
この古墳の南側には、尾根上に円墳を挟んで全長約70mの前方後円墳:三笠山古墳があります。宮山天望古墳と同様に、古い様相をもった古墳時代前期の古墳です。これらの古墳は、宮山墳丘墓と同一丘陵上にありますが、弥生時代の墳丘墓とは隔された場所に造られています。
三輪山・山頂からの眺め
標高は80mと決して高くはないですが、山頂からの市内の眺めと吹き込む風に酔いしれて楽しい山散歩になりました。
百射山神社
平安時代(794~1185)に完成した「延喜式」(えんぎしき)にも名を残している古社で、元は福山(倉敷、清音、山手にかかる標高302メートルの山)に奉斎されていたが、建武年中の福山合戦(1336)にて社殿を焼失した。
後に隣山の幸山(こうやま)に遷座されたが、更に江戸時代の始め藩主池田光政公の命により寛文12年(1672)現在の宮山の麓へ移され今日に至っている。
創建は不明であるが、御祭神の大山積命は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の御子で、天孫瓊瓊杵尊(てんそんににぎのみこと)の后妃木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)の御父神であり、第1代神武天皇の御代に伊予国(愛媛県)大三島に御鎮座された大神様である。
後の御代に命の御神裔五田守国勝長狭命(ながさのみこと)と宇津命(うつのみこと)が、水軍を率いて吉備の島々の賊を平らげ、滞在地の百射之山島(福山)に御祖神(みおやがみ)大山積命を奉斎したのが当社の始まりと伝えられている。
活動まとめ
今回はYAMAPアプリを使い、山散歩・地域の歴史散策に活動してみました。
山歩きは自転車筋とは違う筋力を使うため、体幹を鍛えるのにも、気分転換にも良い刺激を受けていますので皆様も色々なアウトドアの楽しみ方を試してみてはいかがでしょうか。
今回はここまでです。 ここまでのお付き合いありがとうございました。
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